遠州滑走人の時事禄いままでは音楽の内容が主でしたが これからは世の中の出来事について書いていこうと思います

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忌野清志郎個人に対する違和感 そして阿久悠 12:09
JUGEMテーマ:音楽

先日 故阿久悠さんのインタビュー番組を見た。
これは数年前BSフジの「メッセージ.jp」という番組に出演されていたものなのだが、
その中の気になる言葉があった。

”今の歌は「私の時代」になってしまった”と表現していたことだ。

これは今の大衆音楽 Jーポップを指して言っていると思うのだが、昔阿久さんが活躍されて
いた頃は 作詞家 作曲家 アレンジャー 歌い手など ほとんどが分業制になっていた。
ところが今は歌い手自身が作詞や曲作りその他をすべてやる例が多い。

最初 その影響から作詞家の仕事が減った事へ対する恨み節を言っているのかと思った。

ところがどうも違うようだ。

歌い手やミュージシャンがすべてをこなすようになると、結果 聴き手が想像力を働かして
音楽を楽しむ機会を減らすことになってしまう その危険性を指摘していたのだ。
今の歌手が歌う歌は、表される世界があくまでも歌い手自身が実際に思っていること、
主張したいことが前提
となっているだけで、それ以外に何もない ということだろう。

阿久さんは言う

分業制が敷かれていた頃は、歌い手がその歌詞の登場人物になりきるような演技をすることで
歌う方も聴く方も 双方が想像力を働かして楽しむことができたが、今は違う そこが残念だと。

私自身も思い当たるフシがある。
昔パンクロックが好きだった自分が、ある時突然聴くのをやめ、パンクを毛嫌いするようになったことだ。

パンクロックといえば反体制でメッセージ指向の強い暴力的で破壊的なテク無しサウンド 
パンクはまさに ”オレが 私が”でしょ? リスナーが想像力を働かして聴くことができない。
それに気が付いた自分はその手のロックを一切聴かなくなった。 まあ例外はあるけど。
代わりに聴くようになったのはフランクザッパのようなパンクとは対照的な位置にいる人たち 笑
まあザッパも政治的に反体制的な発言をしてはいたが、既存の音楽体系にとらわれないという
点からすれば、もっともロックなミュージシャンかもしれないが。

また阿久さんのインタビュー番組をみて もしかすると阿久さんの作る詩のほうが、遙かに
ロックではないかと考えるようになった。

まあロック自体が反骨精神・反体制ってよくいわれますが、正直バカの一つ覚えのようで、
もうその形容はやめてくれと言いたくなる。

私としては形にとらわれず独自の表現方法で詩やサウンドを作っている例 それをロックと言おう。
その点から言えば筋肉少女帯や人間椅子は紛れもないロックだ 笑

で忌野清志郎はロックの神様とされているが、一体どこを指してそう言っているんだろう。
リアルタイムでRCを聞き始めた80年代 そして「カバーズ」のような過激な路線に失望して
しまった私としては、そこがどうも気になる。
彼も音楽関係者に乗せられてしまったのか いや元々彼がそのような指向の人間で、見事に
その才能を開花させたからなのだろうか 
彼の言葉のセンスには独特なものがあり、ほんと凄いと思う。そして様々なミュージシャンと
交流を持ち、独自のアルバムを作った。 それは誰にもまねできなかった。

振り返れば、当時からいままで、ロックってのは聴き手の想像力をかき立ててくれるはずだったのだが・・・
でもロックの神様 反骨精神って形容をされているところから考えると世間では違う考えが
一般的なようだ。


阿久さんはこんな事も言っていた。

戦時中をもろに体験している彼は、戦争というのは始終やっているものだと思っていたし、
戦後 それまで日本が築き上げてきたものをすべて消し去るような民主主義のやり方に
子供ながら一抹の怪しさを感じたと言っていた。

今は世間がある日右に舵を取っていたと思ったら ある日 突然反対方向に舵を取ったり 
その繰り返しをやっているだけでそこに何の主体性も感じられない。

あと芸術家が、反戦イデオロギーを掲げ、活動をするというのにも賛成しない。
その場限りの感情的な高まりで言ったにすぎないと思うし、本当にそれで世界を変えようと
思うならもっと責任の伴った現実的な考えで行くべきだ。
清志郎は、なぜ他のミュージシャンは言いたいことを言わないのかと批判をするようなことを
言っていたと思う。 これはなぜ反戦をテーマに曲を書かないのかという意味だろうが、でも
そのようなイデオロギー重視の曲というのは責任も伴うし、現実的な物の見方も出来ないと
曲は書けない。 専門的な知識も必要だろう。
だからみんなイデオロギー重視の曲は書かない 当たり前だ。
いやこれは反戦左向けだからではなく もし清志郎が「カバーズ」やタイマーズを極右的な
アルバムにしたら話はさらに深刻。 ドン引きしますよ 石を投げてやる。
イデオロギーを突き詰めて活動するなら それはもうミュージシャンや芸術家のやる領域を
超えている。 ミュージシャンの基本はあくまでもエンターテイメントであるべきだと思う。
やりたいなら音楽やめて思想家や政治家になったほうがいい。

また反戦 戦争嫌だの曲を書く前に 人間本来が持っているものの恐ろしさを書いた方が
遙かに良い。 喜怒哀楽が人間にある限り戦争は無くならないんだから その人間の恐ろしさを
描いた方がよっぽど良いのにとさえ思う。

ということで ありのまま正直な気持ちを書いたのだが、こんなこと書いてるのはここだけか。
みんな ”感動をありがとう”ばっかだもんな 笑
本当にそう思って言ってるのかね? 怪しいもんだ。

今回 フリー作詞家阿久悠とロックミュージシャン忌野清志郎の偉業を振り返り、その考え方の
違いを再確認したしだいだ。

阿久さんが亡くなられて 二年あまり、すでにトリビュート盤や全曲集が発売されている。
阿久悠と忌野清志郎 この二人の偉大な足跡を今一度振り返ってみるつもりだ。












| コラム | comments(0) | - | posted by enski
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