遠州滑走人の時事禄いままでは音楽の内容が主でしたが これからは世の中の出来事について書いていこうと思います

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自分の評価は自分が決める 22:26
 マツコと有吉、「ベストアルバム」を頻発する音楽業界に苦言

当日この番組は見てなかったんだが、まあ音楽CDが売れないということにも関連してる
話題とでもいいましょうか。
まあ正確に言うと”個人が音楽に費やすお金が減っている 音楽にお金を払わなくなった”
という事でしょう。
そんでもって違法ダウンロードに対する締め付けが厳しくなった そういう一面があると思います。

個人的に言わせていただきますと。。。。。

そもそもの責任は音楽関係者にあると思う。

AKBのようなアイドルが当たると似たようなアイドルグループばっか推す。
エグザイルみたいなダンスグループが当たると似たようなダンスグループばかりを売り出す。
結局テレビを付ければ同じような音楽がかかるだけでそれ以外に掛かる他のカテゴリーの
音楽がかかることはほとんど無い。 若いファンからすると世の中の音楽にはダンスミュージックか
アイドル系 その程度の音楽しかないように思えてしまう。
彼らにとっては 音楽=アイドルやダンス系   それ以外はない と。

メデイア媒体にはもっと様々なカテゴリーの音楽を流し 一般に提供するべきで この音楽業界の
衰退はそれをやらなかった音楽業界の連中に責任があると思うね。

またヒットチャートの順位を出して音楽番組を作るのも問題があると思う。
たぶんこんな番組ばかり見ている音楽ファンの考えは、
”多くの支持を得る音楽が良い音楽だ”という ちょっと偏向した思考になると思う。

良い音楽=多くの人に支持され人気のある音楽

この方程式は一見正しいようではあるがそれが全てではない。
人気があるかどうかではなく 聴く本人の感性にどう合っているかで優劣は判断されるべきで
他人の評価で自分の評価が決まるわけではないでしょ?

あと不可解なのがヒップホップ系のヤツがやるバラードが異常にポジティヴで気持ち悪いw
どうしてそこまでポジティヴになれるのか理解不能だ 爆
聴いてるこちらが恥ずかしくなる。
って ファンはそれを支持しているのか?恥ずかしいと思わないのか?
たぶんみんなが良いといってるからそれに合わせているだけでしょ こういうのはやめた方が良い。

ということで若い音楽ファンは可哀想だよ。
私なんか小学生の頃から70後半から〜80年代の音楽をジャンル問わずリアルタイムに
楽しむことが出来た 本当に幸せだった。

今の若いファンはそんなことは出来ないしね。ファンは責められないし、やはり責任があるのは
送り手側 特に音楽関係者にある。 
とにかく取り返しが付かなくなる前に関係者は早く気付いた方が良いと思うよ。

| コラム | comments(0) | - | posted by enski
心に突き刺さる 11:38
評価:
森 達也
知恵の森
¥ 680
(2003-06-06)
コメント:我々現代人の日常

JUGEMテーマ:音楽


 久しぶりにCDというものを買いました。
阿久悠作品集人間万葉歌」です。
代表曲をCD5枚組に集約 

それにしてもディ〜プな世界ですな〜
今のJーポップがお子ちゃまソングに聞こえてしまいます。
なんか言葉の一つ一つが聴くものの心にビシバシと突き刺さってくる。

ビシバシと言えばコレ。
森達也著 「放送禁止歌

昭和歌謡史の中で放送自粛になった名(迷)曲を集め、そのエピソードを書いた本で
あるが何度読み直してみても面白い。

歌詞の中にわずかでも差別用語と思われるような箇所があると、それが理由で放送
出来なくなる。 本来は歌詞全体の文脈から差別を助長するかどうかを判断するべき
なんだろうが、どこもかしこも顔を見合わせたように放送をやめてしまうのは、今の日本を
表しているようにも思える。 
これはいわば事なかれ主義日本を表しているようで、政治家の問題発言報道もこれに
似ているような気がする。

高田渡サン「自衛隊に入ろう」も 実はシリアスなパロディにもかかわらず、実際に自衛隊に
入りたいという人が続出し、いつの間にか封印せざるを得なくなったというのは驚くし、
それ以上に意外だったのは、美輪明宏さんの「ヨイトマケの歌」も放送禁止になっていた点。
こんな良い歌が普通に聴けないなんて・・・・やはり変だよね。
この曲の歌詞は音楽の教科書に載せても良いくらいのものだと思うし、少なくとも子が親を
手にかける凄惨な事件は減ると思う。

| コラム | comments(0) | - | posted by enski
口パク!! 23:03
JUGEMテーマ:音楽



 
今回は記事中に実名が出てきますが、出さないと話が進まないのでご了承ください。

お題は「口パク」      懐かしい言葉です。

昔から洋楽ロックの世界にもありました。
私が洋楽を聴き始めた頃 イギリスのエジンバラから出てきたベイシティ・ローラーズなんかそう
あと 70年代初めのモンキーズなんかもそんな話がありました。

ローラーズが来日したさいも コンサートのバックに本当に演奏をしていた別のバンドがいたなど
という伝説があったようですが、真偽はどうかはわかりません。


さて時代は平成の世
口パクと言えば Perfumeでしょうか。 カタカナでパフュームと表記するよりPerfumeとするのが
似合っているようです。 テクノポップサウンドに機械的なダンスを組み合わせているのが特徴で
この人たちはプロデューサーの方が公言しているように口パクであることが前提だそうです。
ただこのことについてはファンから異論があるようで、口パクであることの是非がネットで議論に
なっているようです。

我々70年代ロックを経験したおじさんたちとしては時代は変わったな〜というのが正直な感想。
昔は口パクなんてロックミュージシャンとしてあるまじき行為で、そんなことがあれば侮蔑同然に
ボコボコに扱われました。
ロックミュージシャンがどの程度の実力かはその演奏力でしょう まずそれが重要でした。
昔 ロックミュージックの基本評価要項はこの演奏力で、実際のライブでの演奏力がどの程度かで
評価されました。 でも最近のロックはその辺がないがしろされているようで興味が持てません。
だから聴いてないです。

Perfumeの場合は凄く戦略的なものを感じます。
ダンスパフォーマンスを重点にしていますから口パクもある意味当然かと思います。
これがダンスパフォーマンスと生声の歌を両立させるとなるとまず両立は不可能でしょうね。
さんざんなものになるでしょう。 だから口パクは当然です。
ファンならそこを理解しないと楽しめないでしょうね。 そういう音楽なんですよ。


さて 私ここで重要なことを思い出しました。
過去ダンスパフォーマンスに重点を置いた音楽をほとんど聴いてこなかった。笑
80年代マドンナのようなミュージシャンが出てきても一度もまともに聴いたことがなかった。
おまけに女性ロックミュージシャンもほとんど聴いた覚えがない。かすかに幼年期に
スージー・クワトロを聴いていた覚えがあるが、とにかく内外の女性ロックミュージシャンは
全くと言っていいほど聴いていませんでした。 なぜでしょう 苦笑
ちなみにアルバムレビューで書いた女性ミュージシャンは皆聴いてますよ 大ファンです。ハイ

関連記事
http://news.livedoor.com/article/detail/4364442/




| コラム | comments(0) | - | posted by enski
人間椅子を聴いて日本のロックを考えてみる 07:52
久しぶりの更新になりますが、別にネタに困っていたわけではありません。
ただ気分的に音楽関連の記事を書く気になれないというのはあったかもしれませんね。
これは単純にこれだけは言いたいというアルバムが見あたらないという理由もあるでしょう。

ロックがつまらなくなり 嫌いになってきたと言う点はプロフィールにも書きましたが、
その点は何ら変わりありません。

今回はその辺に突っ込んで書いてみます。

まあロックを全く聴いてないかということはなくそれなりに聴いてはいます。
ただ人間椅子ばっか。笑

このバンドについては何度も書いてはいますが、やはりこのバンドは凄い。
このようなバンドが正当に評価されず キワモノとされていること自体おかしいと思うし、
いったい日本のロックファンは何を聴いてきたんだ?と勘ぐりたくなってしまう。
まあこれは後で書こう。






よくロックの話になると必ず”ロックとは○○である” ”○○はロック的である”とか観念的な
表現になる。 また忌野清志郎が亡くなったとき”ロックの神様”という表現もあった。

このような話になると ロックっていったい何だろう?と思ってしまう。
ロックじゃなくちゃいないのか? 個人的にはろっく ろっくってうるせえよと言いたくなる。
馬鹿みたいに”ロケンロ〜ル”と言って8ビートさえ刻んでいればそれでロックなのか。
そんなのは老いぼれロッカーにやらせておけばいい 良いさらし者だ。 (嘲

ロックは音楽形態の一つ それで良いではないか と思う。

遙か昔 内田裕也とティンパンアレイとの間で、日本におけるロックは英語でやるべきなのか 
それとも日本語でやるべきなのかという論争があったそうな 40年ほど前の話である。
嘘みたいな話だがその頃から何も進歩していないような気がする。

日本人が 日本人のためにやる 日本語のロック 

これをやるにはいかに日本の文化に根ざした日本語を歌詞にし、曲に乗せるかだが、
それをなし得たのは人間椅子だけだと思う。 他のミュージシャンは海外のぱくりだ。

彼らの曲に「リンゴの泪」という曲がある。
イカ天の何週目かで披露された曲であるが、リアルタイムで見ていた自分には鮮烈な
記憶として残っている。
売られていくリンゴを擬人化したような曲であるが、昔恵まれない農村から奉公に出される
娘を、売られていくリンゴに準えたような曲でものすごく悲しい歌である。
それを津軽民謡調のメタルサウンドでおどろおどろしく演出し、誰にも真似できない曲に
仕上げているのが凄い まさにオリジナリティの固まりだ。
人間椅子というとベーシストのネズミ男風の出で立ちからキワモノと思われがちだが、
もっと本質的な音楽的な面が注目されないのはいったいなぜだろう。
ロック評論家がアホだからか? それともアホな評論家にだまされたロックファンが聞く耳を
持たないからなのか?

正当に評価されない理由がなんなのかは分からないが、おそらくヘヴィメタルの様式美
乗っ取っているのがヘヴィメタルの基本である ところが人間椅子はその基本から著しく
外れている。 だからまともに扱われないのだろう。
私には既存のヘビメタのほうがつまらないと思うが 皆さんはどう?

彼らは今年初め 20年記念のベスト盤を出したが、その売れ行きがとても良いのだそうだ。
コンサートの売れ行きも即日完売で過去にない盛況ぶりなそうな。

これは近い将来プチブレイクくらいはするかもしれませんよ。
私としては海外進出くらいはしてほしいかな〜と。 いや海外大手と販売契約はする必要は
ないので せめて公式HPは英訳を付け、どんなバンドなのかをアピールできるようなやり方に
すればいいと思う。 日本のアニメがあちらで評価が高い点を考えれば 鈴木研一はコスプレ
キャラとして最適だ。 ”スケキヨ化”している彼の出で立ちはコスプレキャラとしてちょうど良い。
日本文化が脚光を浴びる昨今 それに便乗するくらいのしたたかさがあっても
良いんじゃないかな。

そんなわけで彼らのニューアルバム 11月4日発売だそうです。
どんな世界を見せてくれるか こうご期待。








JUGEMテーマ:音楽
 
| コラム | comments(3) | - | posted by enski
忌野清志郎個人に対する違和感 そして阿久悠 12:09
JUGEMテーマ:音楽

先日 故阿久悠さんのインタビュー番組を見た。
これは数年前BSフジの「メッセージ.jp」という番組に出演されていたものなのだが、
その中の気になる言葉があった。

”今の歌は「私の時代」になってしまった”と表現していたことだ。

これは今の大衆音楽 Jーポップを指して言っていると思うのだが、昔阿久さんが活躍されて
いた頃は 作詞家 作曲家 アレンジャー 歌い手など ほとんどが分業制になっていた。
ところが今は歌い手自身が作詞や曲作りその他をすべてやる例が多い。

最初 その影響から作詞家の仕事が減った事へ対する恨み節を言っているのかと思った。

ところがどうも違うようだ。

歌い手やミュージシャンがすべてをこなすようになると、結果 聴き手が想像力を働かして
音楽を楽しむ機会を減らすことになってしまう その危険性を指摘していたのだ。
今の歌手が歌う歌は、表される世界があくまでも歌い手自身が実際に思っていること、
主張したいことが前提
となっているだけで、それ以外に何もない ということだろう。

阿久さんは言う

分業制が敷かれていた頃は、歌い手がその歌詞の登場人物になりきるような演技をすることで
歌う方も聴く方も 双方が想像力を働かして楽しむことができたが、今は違う そこが残念だと。

私自身も思い当たるフシがある。
昔パンクロックが好きだった自分が、ある時突然聴くのをやめ、パンクを毛嫌いするようになったことだ。

パンクロックといえば反体制でメッセージ指向の強い暴力的で破壊的なテク無しサウンド 
パンクはまさに ”オレが 私が”でしょ? リスナーが想像力を働かして聴くことができない。
それに気が付いた自分はその手のロックを一切聴かなくなった。 まあ例外はあるけど。
代わりに聴くようになったのはフランクザッパのようなパンクとは対照的な位置にいる人たち 笑
まあザッパも政治的に反体制的な発言をしてはいたが、既存の音楽体系にとらわれないという
点からすれば、もっともロックなミュージシャンかもしれないが。

また阿久さんのインタビュー番組をみて もしかすると阿久さんの作る詩のほうが、遙かに
ロックではないかと考えるようになった。

まあロック自体が反骨精神・反体制ってよくいわれますが、正直バカの一つ覚えのようで、
もうその形容はやめてくれと言いたくなる。

私としては形にとらわれず独自の表現方法で詩やサウンドを作っている例 それをロックと言おう。
その点から言えば筋肉少女帯や人間椅子は紛れもないロックだ 笑

で忌野清志郎はロックの神様とされているが、一体どこを指してそう言っているんだろう。
リアルタイムでRCを聞き始めた80年代 そして「カバーズ」のような過激な路線に失望して
しまった私としては、そこがどうも気になる。
彼も音楽関係者に乗せられてしまったのか いや元々彼がそのような指向の人間で、見事に
その才能を開花させたからなのだろうか 
彼の言葉のセンスには独特なものがあり、ほんと凄いと思う。そして様々なミュージシャンと
交流を持ち、独自のアルバムを作った。 それは誰にもまねできなかった。

振り返れば、当時からいままで、ロックってのは聴き手の想像力をかき立ててくれるはずだったのだが・・・
でもロックの神様 反骨精神って形容をされているところから考えると世間では違う考えが
一般的なようだ。


阿久さんはこんな事も言っていた。

戦時中をもろに体験している彼は、戦争というのは始終やっているものだと思っていたし、
戦後 それまで日本が築き上げてきたものをすべて消し去るような民主主義のやり方に
子供ながら一抹の怪しさを感じたと言っていた。

今は世間がある日右に舵を取っていたと思ったら ある日 突然反対方向に舵を取ったり 
その繰り返しをやっているだけでそこに何の主体性も感じられない。

あと芸術家が、反戦イデオロギーを掲げ、活動をするというのにも賛成しない。
その場限りの感情的な高まりで言ったにすぎないと思うし、本当にそれで世界を変えようと
思うならもっと責任の伴った現実的な考えで行くべきだ。
清志郎は、なぜ他のミュージシャンは言いたいことを言わないのかと批判をするようなことを
言っていたと思う。 これはなぜ反戦をテーマに曲を書かないのかという意味だろうが、でも
そのようなイデオロギー重視の曲というのは責任も伴うし、現実的な物の見方も出来ないと
曲は書けない。 専門的な知識も必要だろう。
だからみんなイデオロギー重視の曲は書かない 当たり前だ。
いやこれは反戦左向けだからではなく もし清志郎が「カバーズ」やタイマーズを極右的な
アルバムにしたら話はさらに深刻。 ドン引きしますよ 石を投げてやる。
イデオロギーを突き詰めて活動するなら それはもうミュージシャンや芸術家のやる領域を
超えている。 ミュージシャンの基本はあくまでもエンターテイメントであるべきだと思う。
やりたいなら音楽やめて思想家や政治家になったほうがいい。

また反戦 戦争嫌だの曲を書く前に 人間本来が持っているものの恐ろしさを書いた方が
遙かに良い。 喜怒哀楽が人間にある限り戦争は無くならないんだから その人間の恐ろしさを
描いた方がよっぽど良いのにとさえ思う。

ということで ありのまま正直な気持ちを書いたのだが、こんなこと書いてるのはここだけか。
みんな ”感動をありがとう”ばっかだもんな 笑
本当にそう思って言ってるのかね? 怪しいもんだ。

今回 フリー作詞家阿久悠とロックミュージシャン忌野清志郎の偉業を振り返り、その考え方の
違いを再確認したしだいだ。

阿久さんが亡くなられて 二年あまり、すでにトリビュート盤や全曲集が発売されている。
阿久悠と忌野清志郎 この二人の偉大な足跡を今一度振り返ってみるつもりだ。












| コラム | comments(0) | - | posted by enski
アダルトオンリーな大衆ポップスがほしい 13:52
JUGEMテーマ:音楽


・18歳未満お断り
・アダルトオンリー

日本でこのような注意書きを見ると、たいていはエロ関係 もしくは殺人やグロ映像が伴う
内容だったりする。

ただ一応おち゛さん世代のわたしとしては、もう少し発展した解釈がほしいところだ。
ただ単に健全な青少年の発育を阻害するという意味で使うより、この作品を楽しくためには
かなりの想像力と読解力を必要とし、とても低年齢の青少年には勧められない このような
エンターテイメント作品にもこのような注意書きがあってもいいのではないかと思う。

たとえばロックやポップスでいえば、評論家の小難しい言葉で好評価が付いてしまうと、
どんなガラクタのような騒音も芸術とされ もてはやされてしまう。
こいつの何処が”アーティスト”なんだと思うときがあるが、中には良質なものもありハッと
させられる時もある。
昨夜もタモリが司会をするテレ朝系「ミュージックステーション」をみたのだが、一見悪そうな
格好したラップ(?)グループが、とても外観とは不釣り合いのナイーブな詩の世界を展開
していた。ただあまりにもナイーヴ過ぎて少々気持ち悪かった 笑 今はこのような大衆ポッ
プスが主流なのかもしれないが、もっと聞き手に想像力を必要とする難解なポップスってのが
あってもいい。 むろんあるのだろうが、それを大々的に宣伝しても商業的には難しいのかも
しれないという理由で敬遠されているのだろう。
今のように低年齢の好みに標準をあわせた子供だましのようなポップスはそろそろ終わりに
して、真の意味でアダルトオンリーな大衆ポップスもほしいところだ。
今のJ−ポップスと差別化もしくは住み分けする意味でも。

欧州ではこのようなアダルトオンリーな大衆音楽ってのはすでに住み分けされ、ごく一般的に
なっていると思います。 なんせあちらは大人の文化ですからね。

| コラム | comments(2) | - | posted by enski
ポジティブシンキングとネガティブシンキング 07:47
ポジティブシンキングネガティブシンキングという言葉がある。
前向き思考と悲観的な思考であるが、ことポップシーンでは前者である
ポジティブシンキングが幅をきかせている。

若者を対象にした音楽においては当然ともいえるが、何となく釈然としない。
以前こんなコメントをつけたエントリーを書いた。
”明日に向かって走り続けて行くの〜♪”
   ”このバカ そんなに走りたかったら 一生走ってろ!!”(←私の突っ込み)

たわいもない小言であるが、つい突っ込んでみたくなる 笑
まず人がポジティブシンキング思考になる前には、ダメな自分 つまりネガティブシ
ンキング思考の段階があったはずだ。 その挫折感を感じた悲観的思考があった
からこそ、それではいけない 前向きにいこうという思考になったはずだ。
挫折感も感じないなかからは、本当に説得力のあるポジティブな詩の世界など
生まれないと思う。 
一足飛びにポジティブシンキングな歌を歌われても嘘くさくてかなわん。
そのベースになったネガティブ思考に焦点をあてた大衆音楽がもっとあってもいいのだが。


そこで筋肉少女帯だ(←またか 笑)
ネガティブシンキングな世界を地でいく彼らは徹底している。 
死や自殺 その他人間の奥底にある負の部分に焦点を当て、それをロックエンター
テイメントに昇華させた世界は、よくぞここまでやるなと本当に感心する。
「これでいいのだ」や「踊るダメ人間」におけるエンディングの締めは痛快だし、
正直感動した。

新人
新人
筋肉少女帯

そんな中 先月筋肉少女帯復活のニューアルバムが発売された。
私はまだ聴いてないが、期待の出来る内容らしい。
すでに聴いた方も多いようであるが感想を是非聞いてみたいものだ。
| コラム | comments(0) | - | posted by enski
音楽配信で占う未来地図 12:09
宇多田ヒカル世界初!年間配信数が1000万件突破
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/celebrity/88193/

私は音楽配信を全く利用しない。
アルバム単位で聴くので、CDを買った方がミュージシャンの指向がよりはっきり分かるためだ。
またCDジャケットも音楽の一部と考えているので音楽配信を利用するなど考えられない。
今後も利用することはないだろう。
とにかく聞き飽きた曲を大量消費のゴミのように削除するなどということは、音楽を作った
作者に申し訳なくて、私にはとてもできないのだ。

アナログLPの時代は片面20分弱 両面併せて45分にどのようなコンセプトの曲を収録
させるかで 作る側も試行錯誤したわけだ。 それがCD時代に移行し、40分の大作も
納めることができ、作品制作の自由度は飛躍的に上がった。
私のような音楽ファンにはうれしいかぎりである。

さて配信を利用するファンはどんな層なのか。 たぶん若い年齢層 ジャンルはポピュラーが
大半を占めるのかもしれない。 やはりシングル曲の配信が圧倒的なんだろうか。
それ以外の層がどうかということはよく分からないが、今後は長時間・超高音質の配信なども
増えていくのかもしれない。 もしそうなれば少しは考えてみようか。

仮に配信によって単一曲での需要が中心となると、作る側の方向性も激変するのでは
ないかと思っている。 それが一部の狭い層にターゲットを絞ったつまらない世界になるのか。
もしくは様々なニーズを生み出し、活気のあるシーンになるのか。 
それは利用する我々が鍵を握っているのかもしれない。
 
| コラム | comments(0) | - | posted by enski
私の音楽史を決定づけた人 17:09
仕事が一段落したので更新再開します。

この半月間にいろいろなことがありました。
中越地震に参院選と、世の中の流れを変えるような出来事が続いています。

そんな中 特に残念だったのが、作詞家 阿久悠さんの死去でありました。
昨日夜 BSフジのインタビュー番組で、昨年11月に放映された阿久さん出演の
ものが再放送されていましたので感想など書いてみます。

この番組ではスポットに当たった方の経歴や、それに伴う本人からのメッセージを
うかがうという構成になっております。 阿久さんが手がけた70年代の全盛期の
作品がどのような課程で作られていったかという点が非常に興味深かった。
同時に現在の日本の”歌”に対するアンチテーゼのようなものを色濃く感じました。
この”歌”というのは、現在のJーポップに見られる自作自演のほうが、音楽としては
上だと言うような風潮に異議を唱えるような内容であったように思えます。
私も以前からJーポップに対する悪口をさんざん書いてきましたが、阿久さんの考えには
なるほどと思える点が多々あった。

今の歌には”私”しか存在しない。
つまり歌詞を歌い手自身が作っているから これは私的主張にしかすぎない。
聴き手が自分で解釈し、詩の世界観を自由に想像することなど最初から拒否
されているようなものだというのだ。 
そこには歌う側 それをメッセージとしてストレートに受け止める聴き手 それだけの
関係しか成り立たたず、新たな想像力(創造力もね)も生み出すことはできない。
おそらくフィクションとして別の詩世界観を楽しむセンスもないだろう。

(私的要約です)

全くその通りである。
私は歌を聴いて 勇気づけられたいとか人生の糧になったとか そのような期待を
するセンスが理解できない。 音楽にそんなものを期待するなら、最初からお悩み
相談でも江原なんとかさんのTVでも見ていた方がいいと思う。
歌=音楽ではあるが、音楽=歌ではないのだ
いつの頃からか 歌詞におけるメッセージ性というのばかりが重視されてきた。
私にはこのような傾向が非常に気持ち悪く、居心地がよくないのだ。
メッセージ性でよく言われる若者のヒーローとかカリスマってのも、多くは作り上げ
られた虚像のようなものである。 大体が胡散臭い。

私は幼年期に 初めて森昌子さんの「せんせい」を聞いた時のことを思い出した。
あの曲も阿久さんの作である。阿久さんの作品には想像力をかき立てる何か
あった。 見てははいけない別の世界を思い出させるものがあった。
それが音楽における最大の楽しみであることを教えてくれた。

今の若いリスナーにはそのような楽しみはわかるまい。 かわいそうに・・・・・



そんなわけで 阿久さん 40年間楽しませてくれて本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。 合掌





| コラム | comments(0) | - | posted by enski
音楽の魔力を信じますか 08:12
「坂井泉水さんを悼む」頑張る女性の“伴走者”
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/55555/

私はあまり邦楽を聴かない。
邦楽とは言っても主に日本語の歌詞が入るポップスのことで、分かりやすく言えば
最近のJーポップ全般を指すのだが、これについては以前書いたとおり。

私は多くの関連記事を読み、世間様と自分の感覚のズレを痛感してしまった。
私のように70年代から洋楽ロックを中心に聴いている音楽ファンというのは実に
偏屈なヤツが多い。日本の歌謡曲を極端に嫌う傾向があり、いやバカにする傾向がある。
その際足るものが音楽評論家渋谷陽一大先生が提唱した”著作権料よこせリクエスト”
いわば当時の歌謡曲が洋楽ロックのパクリをやっているから許せんというものである。
私もしっかりその影響を受けている 笑

坂井さんがザードとしてヒットを放った頃、これを手がけたビーイングというプロダクション
も批判のやり玉に挙がったことがある。 妙にオブラートされたようなイメージ作り
こぎれいなミュージシャン 歌謡曲じみた刺激のない歌唱法 これがこのプロダクションの
ミュージシャンに共通したカラーであった そこが揶揄される対象となったのを思い出す。
これは、70年代後から流行始めた産業ロックに、ただ大量消費の産物でしかなくなった
物足りなさを感じた。 それと同じようなものだと思います。


歌唱力や歌詞の内容は、あくまでも音楽の一部分に過ぎない。
その一要素で音楽の魅力を語ってしまうのはつまらないことだと思っている。
詩の内容に過大な幻想を抱き、あたかもそれが人生の糧となるかのような期待は
ほとんど持った事がない
。 せいぜい日々の生活を潤わせてくれる潤滑剤として
存在しているくらいである。

音楽の楽しみ方 感じ方は人それぞれ違うものではあるが、私のような典型的懐古主義
音楽ファンはもはや化石に近いのかもしれない。ただ
音楽の魔力は信じるがそれに幻想を抱くことはない それだけは今後も変わらないだろう。 




| コラム | comments(0) | - | posted by enski
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